仮にベーシックインカムが実現し、働かなくても最低限の生活ができるようになったとします。そのときも、この会社に所属して働き続けたいと思ってもらえるでしょうか。
毎日フルタイムで働く必要はないかもしれません。雇用形態を変えたり、稼働時間を減らしたりすることも含めて、それでもこの会社の仕事に関わっていたい。この会社が目指していることに、自分も力を貸したい。そう思える状態をつくることが、企業理念の浸透によって目指したい姿です。
理念を覚えているかという確認だけでは、そこまで分かりません。会社が社会に届けようとする価値と、本人が働くことで得たい充実感や貢献の実感が、日々の仕事のなかでつながっているかを考える必要があります。
生活のために働く必要がなくなっても、この会社を選ぶか
働く理由を聞かれたとき、生活のためと答えるのは自然なことです。住まいや食事、家族との暮らしを支える収入が必要だから働く。企業も、その仕事に見合う報酬を用意することで、人に働いてもらっています。
では、仮に生活のための収入が一定程度保障されたら、会社と人との関係はどうなるでしょうか。ここでは、最低限の生活が成り立つという条件を置いて考えます。そのうえで残る「この会社で働く理由」に目を向けたいのです。
社会とのつながりを持っていたい。誰かの役に立ちたい。経験や知識を生かしたい。一緒に仕事をする人たちが好きだ。自分たちの仕事が顧客に届くことに喜びがある。収入を得ることと並んで、こうした理由が働く意味になっている人もいるはずです。
会社として考えたいのは、働くこと一般への意欲から、もう一歩進んだ問いです。「何か仕事はしたい」と思っても、別の会社や個人での活動を選ぶことはできます。そのなかで、なぜこの会社の一員として関わり続けたいのか。この問いに、会社の理念と日々の仕事がどう答えられるかを考えます。
書籍が示す、働く目的と理念浸透のつながり
西尾太氏の『この1冊ですべてわかる 人事制度の基本』(日本実業出版社)には、人事制度が目指すものとして、理念浸透と行動指針を扱う節があります。そこでは、会社と社員の向かう方向を合わせるという人事の目的から、人事制度にも理念を浸透させる役割があると論じられています。書誌は著者の所属するフォー・ノーツの書籍案内でも確認できます。
その節で著者が投げかけているのは、宝くじで10億円が当たったら仕事を辞めるか、という問いです。著者は、自身の経験では答えがおよそ半々に分かれたと述べています。これは著者が出会った人たちについての記述であり、働く人全体についての調査結果ではありません。
生活できるお金があっても働き続けるという答えには、社会との接点を保つこと、世の中への貢献、生きがいといった理由があると紹介されています。ここから読み取れるのは、人が仕事に求めるものには、生活費以外の側面もあるということです。
著者は、長時間労働や過大な残業を減らす取り組みを否定していません。そのうえで、働くことをつらさだけで捉えてよいのかと問い、役に立てた喜びに目を向けています。働く負担を減らすことと、仕事から得る充実感を考えることの両方が、この議論には含まれています。
書籍は、仕事によって誰かの役に立ち、顧客から喜ばれる充実感へと話を進めます。そして、会社という組織の力を通じて、顧客や社会にどのような価値を届けるのかを示すものが理念だと説明しています。会社の存在する意味と、一人ひとりの働く目的を結びつけるところに、理念浸透の意味があります。
売上についても、著者は顧客に届けた価値や感謝の積み重ねとして捉えています。仕事の数字を、その先にいる顧客への貢献と結びつけて考える見方です。理念が働く目的につながっているから会社は強くなる、という主張へと続いています。
ベーシックインカムがあってもこの会社で働きたいか、という問いは、この議論を踏まえた私たちの考えです。書籍にある宝くじの問いから、生活のために働く必要が弱まったときにも、会社との関係を選びたいと思えるかを考えています。
理念が自分の働く理由になるまで
たとえば、顧客の困りごとを解消するという理念を掲げる会社で、社員が顧客の事情を聞き、提案を工夫し、実際に困りごとが解消されるまで関われるとします。本人が人の役に立つことに喜びを感じているなら、会社の理念と自分の働く目的が、一つの経験のなかでつながります。
組織の力も、その経験を支えます。一人では持てない専門知識を仲間が補ってくれる。自分の提案を形にする仕組みがある。継続して顧客を支えられる。そうした経験が積み重なると、この会社だから届けられる価値と、ここで働く意味が見えてきます。
一方、顧客のためと言いながら、顧客の事情を聞く時間も裁量も与えられず、社内では目先の数字だけで判断されるなら、掲げた理念と仕事の経験が離れてしまいます。理念への共感を求める前に、会社自身の判断や仕組みが、その理念に沿っているかを確かめる必要があります。
「会社は何を実現したいのか」と「本人は何のために働きたいのか」の関係は、人事の目的と、企業・働く人の方向性をそろえる考え方にもつながります。双方に重なりがあるからこそ、自分の意思でこの組織に参加する理由が生まれます。
関わり続けたい気持ちを、働き方の柔軟さで受け止める
生活が保障されてもこの会社で働きたいという気持ちは、現在と同じ契約、同じ勤務日数、同じ稼働時間を維持したいという意味とは限りません。週に数日の参加なら続けたい、担当する仕事を絞って専門性を生かしたい、という希望も考えられます。
その場合、本人が続けたいと考えているのは何かを聞く必要があります。顧客との関係なのか、仲間との協働なのか、特定の課題を解決することなのか。そこが分かれば、会社が必要とする役割と照らして、関わり方を検討できます。
短い時間でも、任せる仕事と期待する貢献が明確なら、理念を実現する一員であることは変わりません。反対に、長時間会社にいることだけで理念への共感を判断すると、本人が届けている価値を見失います。
もちろん、会社の業務と本人の希望が、いつでも一致するわけではありません。それでも、関わり続けたいという意思を出発点に、役割や働き方を話し合えることには意味があります。この仮定で確かめたいのは、本人が自分の意思で会社との関係を選び、会社もその意思を受け止められるかという点です。
行動指針と評価面談で、理念を日々の仕事につなぐ
書籍は、理念を人事制度に反映する際、抽象度が高いままでは評価に使いにくいことがあると指摘しています。そこで、自社が大切にする価値観を、具体的な行動へと表した行動指針が登場します。
紹介されている指針には、相手の立場から考えること、人に関心を持つこと、自ら考えて動き成長に努めること、仕事の仕組みを改善し続けることなどが含まれます。前向きに発想して挑戦する姿勢と、懸念を含めて検証する姿勢も、一つの指針のなかに置かれています。気持ちの持ち方から仕事の進め方まで、自社らしさを行動として示しているのです。
これを評価制度に反映する狙いとして、著者は、上司と部下が理念や行動指針について話す機会をつくることを挙げています。社員同士の点差をつけることを目的にせず、全員が求める行動を取れているなら、全員を高く評価してよいという考え方です。
この考えを面談で生かすなら、抽象的に共感の度合いを採点するよりも、実際の仕事を振り返る対話が考えられます。たとえば、顧客に提案した場面で、相手が何に困っていると捉え、なぜその提案を選んだのかを聞く。顧客の役に立つという理念が、その判断にどう表れていたかを話します。
会社が大切にしている行動が見られなかった場合も、低い点をつけて話を終えることはできません。期待する行動が伝わっていたのか、本人はどう判断したのか、実行するうえでどんな障害があったのかを確認します。上司や評価者同士で、どのように伝え、支援するかを考えるところまでが制度の運用です。
書籍の最後の部分も、価値観に沿った行動が十分に見られない社員に、どうフィードバックし、対応するかを評価者が議論する意味に触れています。理念の浸透は、掲げた言葉を伝えるところから、行動について話し合うところまで続いています。
まとめ
仮に働かなくても最低限の生活ができるとして、本人にはこの会社で続けたい仕事があるでしょうか。会社には、その意思を受け止める役割や働き方があるでしょうか。理念浸透を考えるときは、この二つを確かめたいと考えます。
面談では、本人が続けたい仕事と、その仕事を通じて誰にどんな価値を届けたいのかを聞いてみてください。その答えを会社の理念や実際の行動と照らし合わせると、共感が生まれている部分と、会社の仕組みを見直すべき部分を話し合えます。

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